自己紹介

はじめまして。
webデザイナーの山本あゆみ(旧姓:見留)と申します。

上場企業に勤める営業職の夫と
4歳のパワフルな息子と、3歳のおてんば娘と暮らす
アウトドア好きな普通の年子ママです。

webデザイナーの仕事をしています。
https://ameblo.jp/ayuyamadesign/entry-12447874364.html

ですが、もともとは、webデザインとは似ても似つかない仕事をしていました。
少し長くなりますが、お付き合いいただけましたら幸いです。

 

★あらすじ★

両親の影響

海なし県の山梨で生まれた私と、陶芸家の父と、看護師の母。父の仕事の関係で栃木(またもや海なし県…)に引っ越し、そこから高校まで暮らしました。

ごく一般的なサラリーマン思考でなんでもできちゃう努力家のスーパー母と、かなり自由奔放で癖のある自然大好きな熱い父。外から見たら、真逆の二人。笑
(母が仕事から帰ってきた時に、シュークリーム食べたいなとボソッといった1時間後に、出来立てシュークリームがテーブルにあった時にはびっくりした。。。)

外から見ても、稼ぎ頭は母。可哀想な母。頑張り屋の母。管理職になってからはさらに忙しい中、食事もちゃんと作っていて、仕事も出世していて凄いね、という感じ。一方では父は、いわゆる”社会的な評価”というものは、関係のないところで生きている感じで、好きなことに没頭する、運動神経抜群、アウトドア大好きの、田舎育ちで生きる知恵の塊のような人でした。

私はというと、お父さんっ子でした。高校卒業するまでは、母との関わりで良い思い出というのは、実はあまりありません。無口、いつもイライラしている、機嫌悪そう、話しかけても「ふーん、、」しか反応ない、そんな感じだったので、あえて表現するならば、母のことを腫れ物のように見たり触れたりしていた、そんな感じでした。

そんな親でしたので、父と母は色々なことが真逆なので、しょっちゅう喧嘩していました。ですが今思うと、このふたりが親でいてくれて、身近にいてくれたからこそ、私は、「自然の大切さとお金の大切さの両方を捨てずに生きたい」と思えるようになれたんだ、と想っています。

そんな環境で育ったからなのか、学歴や大手企業、高所得などのいわゆる「社会的な評価」って正直、気にしていませんでした。

夢は叶った…?

裕福ではない家庭環境ではありましたが、母は学費や仕送りを毎月してくれて、大学・大学院まで通わせてくれました。当時はわからずにいたのですが、これがどれだけ幸せなことだったのか、贅沢なことだったのかは、お恥ずかしながら子を持つ母親になった今、ようやく感じられるようになりました。ただただ感謝です。

学歴を気にしたことはありませんでしたが、裕福ではないことはわかっていたので、入学料や授業料の高い私立ではなく、国立にしようという、「お金を使わないようにする」ことは、物心ついた頃から気にしていたように思います。

国立の大学では教育学部の理科全般を、大学院では海洋生物系を学び、無事に卒業した後は自然と人を結ぶベンチャー企業で正社員として入社しました。
周りからは、ベンチャーなので収入面や、女性ということで体力面、ど田舎なので一軒家を借りての生活で、色々な面でやっていけるのか?などなど、、、、本当に色々なことで心配され、、、それでもやり甲斐を優先し、周りを説得しての入社でした。

一言でいうなれば、幸せでした。こういうのを「天職」っていうのかもしれない、と。お金がなくたって、幸せだ。と心から想っていました。

ですが周りが心配していたようなことがもろに降りかかり、さらにこの頃、自然を伝える仕事を心から応援してくれていた当時25歳だった大切な人を、ガンで亡くし、、、。気力も体力も限界にきていました。最終的には働き続けるのが難しくなってしまい、辞めざるを得ない状況に。もう、、、本当に、悔しかったです。自分自身に腹立っていました。その仕事を辞めると実家に報告するとその翌々日に、呼んでもいない父が(笑)、栃木から駆けつけてくれました。素直じゃなかった私は喜んだ顔もしませんでしたが、それはもう…とにかく嬉しかった。田舎で同期も知り合いもおらず、そういった意味では「孤独」でしたから。。
そのときに、詳しいことは殆ど聞かずに父はそっと「お金のストレスってのは、本当に辛いよな…」と、あの頑固な父がそう言いながら、私の背中をさすってくれた時には、号泣するしかできませんでした。この頃から少し距離のあった家族と向き合うようになり、「お金についてももっと向き合わなきゃダメだ」と思うようになりました。

退職直後は、実家で少し休養しつつ、今後の仕事の選び方や、私の自然環境との向き合い方などを模索していました。
ここでは書ききれないのですが、色々と思うことがあり、情報がたくさん集まる東京に住もう、と転職活動を始めました。

転職活動でまさかの○○が役立った

今まで就職活動をそんなにしてこなかった私は、まず自分をアピールすることに戸惑いを感じました。汗 手探りの中、感じたことは2つ。
・上京して、住むって、大変なんだということ。
今はわかりませんが、当時、無職はアパートを貸してくれませんでした。ですが前職でたまたま作っていた、たった1枚のクレジットカードに助けられ、無事都内に引っ越すことができました。(クレカが発行されている=信用できる人ということらしく、クレカ会社のブランドも良かったため本当にラッキーでした)

・転職活動で学歴のありがたさを感じた
東京に移り住んでからアルバイトしながら転活したのですが、勤務年数が浅く、しかも小さな会社で積み上げたスキルを認めてくれるところなんてのは、皆無でした。信頼というのはこういうところで見られるのか…と知れたのは貴重な経験でした。私はたまたま国立大学・大学院を出ていたので、大学のブランドというのでしょうか、職歴よりも「学歴」と目の前にいる「自分のありのままの姿」と「今までの経緯と想い」だけをかろうじて信じてもらえた、という感じでした。

前職を考えたときに、自然環境以外の部分で、自分は何に興味があるのか?どんなことが面白いと感じているのか?など、自分の核を掘り下げた時に、「人が好き」「人と何かを繋げるパイプ役になりたい」ということに気付きました。なのでそれが叶う「人事職」を選び、複数の大手企業の人事職で、派遣・アルバイト・契約社員の採用全般業務を経験しました。なので、採用業務の仕事案件は選べるほどになり、生活するだけなら全く問題ないなと感じておりました。実際に正社員へのオファーもありましたが、心の奥では、いつの日にか人事職ではなく、自然関係の仕事に就きたいと思っていたので、当時はそのステップアップにすぎないと思っており、雇用形態は正社員以外と拘っておりました。・・・そんな甘い考えを持っていた生意気な若造でしたが、人事職という割と重要な部署での経験が評価され、一般企業の事業で福島での復興支援活動を支えたり、都庁の業務委託だったICT教育の教材開発では理科担当するなど、徐々に今までに経験のない環境系の仕事にも関わることができました。某省庁(って環境系は一つしかありませんが。笑)での事務の頃に妊娠が発覚し、その仕事を最後にOL業を離れました。

父の病気がきっかけでした

結婚前の両親顔合わせをした2週間後。一本の電話がありました。母からでした。父が食道がんであること、それもステージ4という末期であることを泣きながら知らされました。健康でスポーツオタクの、あの父がまさか、、。最初聞いても実感が湧かず。当時、夫と婚約してはいたが、入籍も挙式も日程は未定の状態でした。とにかく少しでも、父と話したい、会いたい、そんな気持ちが強く、平日昼間は都内で働き、その後父が入院する茨城のつくばへ日帰りでお見舞いに、毎日行っていました。今までろくに感謝も伝えてこなかった私ですが、最期かもしれない、、、結婚も伝えられないかもしれない、、、孫の顔も見せられないかもしれない、、、父が教えてくれた自然の魅力を結局、仕事にできなかった、、、このまま死んじゃったらどうしよう、、、、大学院まで行かせてもらって、自分の都合で仕事してきて、稼げてないし、親孝行なんて何もしてない、、、何やってんだ私?

色々な想いが込み上げていて、その時にできることを精一杯やることしかできない、自分の無力さを感じながら、毎日悔しさで涙しながら、お見舞いに通っていました。

幸いにも、父は、奇跡的にガンが完治し、退院できたので、入籍も伝えることができましたし、約1年後の海外挙式では、父とバージンロードを歩くことができました。この時ばかりは、ガンで亡くなった大切な人が空から見守ってくれたに違いない、と思わずにはいられませんでした。

そんなことがあり、環境系の仕事に都内に出ても拘っていました、経済面も捨てずに。某省庁で働き、名刺を渡した時には、父の表情はとても嬉しそうでした。その顔を見て、私は、なんか、スッと胸の内が軽くなったのを今でも覚えています。

その5年後の2016年。父は突然倒れ、帰らぬ人となりました。ガンではなかったので亡くなる2日前まで会って子どもたちと遊んでもらいましたが、、、。ずっと受け入れることができず、実家に帰るたびに泣いておりましたが、今だから思います、父らしい終わり方だったなと。それに葬儀の時にすごい方々が参列してくださって改めて感じました、父は人徳のある人だったんだ、父は幸せだったんだなと、私もこんな父親を持って、幸せだと。父の口癖だった、今度こそ○億円が当たってるぞ〜?と宝くじにウキウキしてましたが、今だからわかります。本当はきっと、そんなのどうでも良かったんだと思います。本当は陶芸家として稼ぎたい気持ちがあったんだと思います。価格設定の壁を乗り越えられなかっただけなんだと思います。家族の喜ぶ顔を見たかっただけなんだと思います。父の人徳。私も、そういう生き方をしたい、と。

葛藤

父の死を経験し、改めて感じてしまいました。
私はやっぱり、自然とともに生きたい。自然の魅力を伝えたいし、もっと実感ある形で携わりたい。でもしっかりと稼ぎたい。

正直、結婚後は東京に永住するだろうし、妊娠してからは、もう、昔のような自由な時間もないし、やりたいことを仕事にするなんてできない、、、と避けていました。家族を持った幸せもあるんだし、贅沢言っちゃいけないよね、それに少しでも経済的に余裕があったほうがいいよね、、と言い聞かせながら、生活をしていました。

過去の経験から、経済的な循環がないと、せっかくのいいコトをしていても、継続できない。だからボランティアではなく、仕事で貢献できる場を探し続けていました。だからあのベンチャーでもあの会社を選びました。辞めざるを得ないとわかってからしばらく、悔し泣きもしました。当時都会大嫌いだったけど情報集めのために東京に移り住みました。でもそこから、色々な自然環境の仕事の存在を知ることができた訳だし、父のガンのお見舞いからも、突然の死で駆けつけた際も、葬儀にも、また1人目妊娠で緊急帝王切開した時にもお金の大切さが身に染みたし、妊娠したことでネット検索する機会が増えて、たまたまインターネットビジネスを知り、輸入物販も学べて、情報発信も学ぶことができたし、だから色々な場面で沢山のご縁もいただけたし、素敵な方々にも出会えたんじゃんか!繋がることができたんじゃんかーー!webデザインという仕事にも出会えたんじゃんかーーー!

本当にやりたいことを続けていたら、必ず見えてくるものがある。近づくことができる。その選択すべてが、私に必要なことだったんだ。それが、本当の気持ちなんだ、と実感できました。

決して素敵なストーリーでもなければ、うやらましがられる過去でもありませんが、思うがままに行動してきたからこそ、自分の本来の生き方が見つけられたのだと今はそう想います。

この想いを感じられるまでは、本当に、苦しかったです。。。^^;

インターネットビジネスの物販、BUYMAを学ぶ

妊娠を機にOLを離れた私がまず感じたのは、不安。もちろん、子を授かった喜びや家族が増えた生活は楽しみではあったものの、やはり、お金のことや自分自身がどうなってしまうのか、といった、今までの経験では解決できないことに怯えていました。
なので、妊娠中にはネット検索で、子育てをしながらできる仕事って何があるんだろう?と探る日が続きました。
そんな中、目に止まったのが、インターネットビジネスの物販「BUYMA」でした。ここが新たな転機だったように思います。

BUYMAを知る前までは、自分の生活、どうする…。家族を持ったら、どうなる…。まだ諸々の返済が残ってる…。好きを仕事にしちゃいけないのか…?親孝行なんて、いつできる…?結局、やりがいより金か…。
いろんな悔しさが入り混じり、どこに怒りをぶつけたらいいのかわからずにいました。

そんな中始めたBUYMAは、未知の世界だらけで衝撃でした。そんな私が必死でやって売上約60万程度。徐々に慣れてきたものの、想像以上に子育てと仕事との両立が難しく、どこに向かってるのかわからなくなってしまいました。
スキマ時間で稼ぎたいだけなのか?それとも、、、。もう自分でもよくわからなくなってしまい、そのことに悔しくて、悔しくて…。でも確かに、お金は大切だから、と何とか「稼ぎ」に目を向けるように、自分を騙し騙し行動に移しつつ、BUYMAに取り組んでいました。

このように書いてしまうとすごくネガティブに見えてしまうのですが、じゃあBUYMAは無意味だったかと言われると、それは全くそんなことは思っていなくて、寧ろ感謝しかありません。辛いことの方が多かったけれど、やってよかったですし、今のwebデザインにも沢山、活かせているところがあります。海外のサイトでのショッピングは怖くなくなったので、海外ショップでアウトドアアイテムを安く購入することもありますし。笑

私はたまたまインターネットビジネスの物販BUYMAに出会い、雇用されない仕事でも、稼ぐ手段がある、ということは、私にとって衝撃でした。
もし、無理やりあのベンチャー企業で収入を捨てて続けていたり、都内で収入さえあればどんな仕事でもいいやと割り切ってしまっていれば、出会えなかったビジネスだし、きっと何もかも、惰性で過ごしていたんじゃないかと今だから思えます。

もっといえば、情報発信の師匠である三浦孝偉さんと出会わなければ、このブログは存在してないですし(書くの苦手ですから、、、汗)、物販の師匠が佐野正一さんじゃなければきっと、稼ぐことから逃げてたと思いますし、自然の魅力を伝える夢はここまで膨らませることが出来なかっただろうと思います(出会う前までは発想力や展開力が全くなかったので…)。

BUYMAの傍らでは、常に、自然体験の魅力を伝える、それを叶える方法は現場に出るしかないのだろうか?他にはどんな方法があるんだろう?と色々と模索していました。

たまたまのタイミングでモノやコトが起こり、ヒトと出会い、4年近く関わったBUYMAを辞めよう、と決めました。

そして、、、

自分の本当に叶えたいものに近づける可能性を感じた「webデザイナー」で自然の魅力を広めたい。

そう思い0からwebデザイナーを目指すことに。
2019年からはフリーランスのwebデザイナー養成講座で、現場のプロに学びつつ、活動しています。

まだアラフォーだけど、もうアラフォー。
いつから始めても、遅くない。

やりたい事があるなら、どんどんやらなきゃ。
父のように、いつ、どうなるかわからない。
子どもたちに、イキイキする母ちゃんの背中を見せ続けていたい。


今までと同様、やらずに後悔することだけは、したくない。

自分を信じて、チャレンジする気持ち。
家族の絆を大切にしつつも、これだけは曲げずに進みたい。


昨日の自分に、勝つ。
そんな決意のもと、先延ばししていたことにチャレンジしてまいります。

 

ここまでの長文を読んでくださり、本当にありがとうございました!
あなたといつかお話できる日を、楽しみにしております^^